novelsのブログ

お題にもとづいた短編小説やふと思いついた小説を不定期更新します

ほほえみの国へようこそ




今週のお題「海外旅行」


こんにちは。今日はお題にもとづく短編小説を書きます。
少し長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。






ほほえみの国へようこそ



空港の空気というのは、なぜこうも人を高揚させるのだろうか? ずらりと並んだ電光掲示板には、今日のフライトがぎっしり示されている。今日この空港からアメリカに行く人、中国に行く人、オーストラリアに行く人、さまざまな人がいるんだ。普段ひとつの国にこもって仕事をしている自分には、にわかに信じ難い数の便だ。そのうちのひとつにこれから、おれは乗る。

それを思うだけで少し興奮する。

人間は旅をすることを思い描くだけで、高揚する生き物なのかもしれない。単純な物理的距離の移動だけでなく、心も移動する。その料金が含まれているから旅にはお金がかかるんだ。それだけの価値が、旅にはあるんだ。

そうやっておれ自身を納得させる。

続けて十日間も休みを取ることは至難の技だった。営業部のプレイングマネージャーに任命されてもうすぐ五年、おれが動かなきゃ部が動かない。そういう貧弱な仕組みしか作れなかったのは自分だが、せめてもう一人俺がいたら……おれと同じようにクライアントのことを思って動いてくれる人間がいたら……やめよう。せっかくこれから久しぶりの旅を楽しむんだ。こんなことを考えるのは、やめよう。とにかくおれはまとまった休みを取った。

おれがいない間、誰がどうリーダーシップを発揮してくれるのか楽しみだ。これから行く国はアジアの中ではネット環境は良い方だが、それでも完璧ではない。ファイルの確認ができるほどのネット環境は無いだろうし、電話については高額になるため、クライアントにも社内にも「繋がらない」で通してある。非常時にはホテルに電話をもらい、折り返すと伝えてある。

本当の非常時にはそんな悠長な時間差で折り返されても役に立たないことは俺も部のみんなもわかっている。つまり、事実上これはおれが、自分の時間を取り戻すための旅なんだ。

五年間、必死に働いた。文字通り身を粉にして働いた。

その結果、部署が部署らしい機能と売り上げを持てるようにはなったが、その代償としておれは、夜眠ることができなくなり、右耳が聞こえなくなり、ついにはキレやすくなってしまった。

医者には病院に入ることを勧められた。一週間から一ヶ月、隔離病棟で投薬と充分な睡眠を取って回復するようにと。そこまで言われてやっと踏ん切りがついた。おれは、十日間の休暇を取ることにした。そのうち八日間をタイで過ごす。向こうでは、贅沢をしなければそれなりに安く過ごすことも可能だ。五年間使う暇もなく貯めてきた金もあるにはあるが、この金は散財するための金じゃない。

この旅で心を回復させたら、部署のリーダーを新しく立て、おれは補佐役に徹する。引継ぎが終わったらおれは今働いている会社を辞める。そして、四十になる前に会社を興そうと考えている。誰と一緒にやるかも決めている。若いが頭の切れるあいつと、幼馴染のあいつ。以前顔合わせをしたときの感じも良かった。この三人ならきっと、事業を成功に導けるだろう。


搭乗時間の三時間前に空港に来てスタンバっていたが、そろそろチェックインをして搭乗の準備に入っても良い頃だ。おれが乗るLCCのカウンターは空港の中で一番入り口から遠いところに置かれている。事前にウェブチェックインをしてあったので、カウンターですることはほとんど無く、A4で印刷してきたウェブ予約の紙を、かたい横長手のひらサイズのチケットに変えてもらっただけだった。

荷物検査をくぐりぬけ、また時間をつぶし、飛行機に乗る。また少し待たされてやっと飛行機は離陸した。日本とさよならする。感慨深く思った。このまま六時間ここに座っていればタイに着くのか。なんて近いのだろう。こんなに近いのに今までなぜ行かなかったのだろう。

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空港に降り立ち、浮き足立っていた心がすうっと冷える感じだ。肝が冷える。さっき飛行機を降りた瞬間までは楽しかったんだ。しかしなんだこの空港の雑多感は。

両替して、荷物を盗まれないようにして、バス乗り場を見つけるんだ。


こんな脳の働かせ方は初めてだ。海外旅行ってこんなに大変なのか? 仕事で鉄火場も修羅場も経験してきたが、それとはまた違う危うさのある、歯痛のような不安だ。なんとか両替を試みるも、英語もタイ語も練習してきた一割も口から出てこない。なんだこの醜態は。


☆☆☆


両替、バスに乗る、電車に乗るというステップを踏むたび、おれの心は落ち着いていった。取っていたホテルに入る。いかにも繁華街の中のホテルという感じだが、「安くて綺麗で場所も便利」とネットで評判は良かった。チェックインは英語で対応してくれたが、おれは英語もほとんど話せない。日本語なら多少雄弁に語ることも出来るが、慣れない英語ではどうにもならん。イエスの連発でチェックインをする。


ホテルでごろりと横になる。


「着いたなあ」


声が上ずっていた。現地時間でまだ夕方だ。あと数時間は明るいだろう。腹も減っていないし、ひとまず少し休む。動くのはその後でいい。


まどろむような眠りから覚め、外はいい具合いに夜になっていた。うん、腹も減ってきた。おれはシャワーを浴び、外へ出た。ネットで調べておいた夜遅くまでやっていてレートのいい両替商へ行き(不思議なんだが、酒屋の中に両替商があった)、円をバーツに替える。円をバーツに替えるたび、この国での自由を買っているような気持ちになった。


三万円をタイバーツに両替し、用心深くカバンの中に入れ、通りを闊歩する。初日から腹を壊してはつまらないから、ガイドブックで見つけていた「日本人好みの味」と称される鶏丼(カオマンガイと言うらしい)の店に入った。大盛りで…と慣れないタイ語で注文する。ちゃんと伝わった。大丈夫だ。


飯はうまかった。牛丼よりうまいかもと思った。ゲップ、おっと失礼。ここはまた来たい。

腹がふくれたら次は軽く夜遊びだ。あらかじめ調べてあったバーに行く。パッポン通り。響きのいい名前だ。こことカオサン通りくらいは、おれでも名前を知っている。

パッポン通りにあるバーは、合意があれば女を連れ出すことができる場所だ。のんびりするつもりだったが、夜のネオンを見たらおれは若返ってしまったようだ。こういう場所の喧騒は万国共通だなと思う。バンコクだけにな。おっと失礼。



軽い気持ちで「いいな」と思った女を呼んで隣に座らせた。黒髪に彫りの深い顔立ち、まぎれもなくタイ美人というやつだ。ポールを持ってダンスしている姿は妖艶ですらあった。一瞬気後れしそうになるが、女もおれが気に入ったようで、言葉なんて気にならないくらい肌と肌を近づけて話してくれる。これ以上ここで話していても仕方ないと思い、おれは店に「紹介料」日本円で五千円相当を支払い、女を連れて店を出た。ホテルの部屋に女と帰る。


生で見る女の裸体は想像をはるかに超えるみずみずしさと力強さだった。一撃で俺を魅了した。そのあとのことは流れに任せるままだ。あんなに燃えたのはいったいいつ以来だろうか? 射精の瞬間はいつだって無になれる。よほど「失敗した」と思う女でない限り、いつも一緒だ。無だ。


おれの人生一の恥ずべきことは、子どものころに猫をいじめたことだ。クラスの体のでかいやつにいじめられて、「自分より弱いものをいじめるのがこの世の中か」と思って自分より弱い猫をいじめた。

すぐにいやになって、やめた。おれはまともな人間でありたかった。



翌日も同じようなバーに行って女を買った。昨日より余裕がうまれた気がして、ホテルに着いた瞬間押し倒すようなことはしなかった。女と会話を楽しみ、ベッドへ行く。大人の楽しみ方になってきた気がした。余分なプロセスを追加した分、ベッドで女の体をまさぐる手は激しさを増した。



こうして休みを取ってみると、日本にいるときのおれは、縛られているなあと思った。ルールやマナー、大衆の意向にだ。電車の中で客先から電話がかかってきたとき、小声で出ただけでなぜ大衆はあんな目をするのだ。眠っていて起こされたかのような非難の目でこちらをにらみつける。「今電車の中なので、十分後に折り返します」とささやくような声で話しているだけなのに。



その翌日は、ナンパというか、普通のバーで男待ちしている女に声をかけてみることにした。ここでもおれはめちゃくちゃ綺麗な女と簡単に仲良くなることができた。目が合って笑いかけてくる女の顔はいい。

 

女をただ抱くだけでなく、抱くまでのプロセスを楽しむのもいいものだ。結果として金を渡すとしても、店が仲介する女より掛け値無しでおれと向き合ってくれている気がした。相手もおれのことが気に入っているという余裕からか、女との行為はねちっこいものに変わった。女がイクまであそこを舐めたり、お互い楽しめる夜にしようとした。

 

その日も次の日も、おれは女を抱いた。タイに来て六日目、抱いた女の数はここで過ごした夜の数と同じだった。昼間の観光も女と行くことがあったくらい、女には困らなかった。

 

正直、帰りたくない気持ちは大きかった。それを払拭するために、最後の夜は最高の女を抱いてから帰ろうと腹を決めた。目星はついている。何度かバーで最高にいい女がいるのを見かけた。美人なんて表現じゃ足りない。体の線はしなやかで特に胸と尻の美しさに目をうばわれた。手足はすらりと長く、顔はエキゾチックだが化粧がきつすぎず、元の顔が美人なのがわかる顔立ちだ。バーには遊びに来ている風で、男漁りをしている雰囲気は無い。

おれのことは覚えてくれているだろうか? いつも目があってもすぐにそらすあの女を、何とかして手に入れたい。ほほえみの国最後の夜、おれはバーで女を探した。


女はいた。優雅にすわっている。今日も一段と綺麗だ。おれが女を目で追っていると、別の女が声をかけてきた。いつもならこの女と飲んでホテルに流れるところだが、今日はそういうわけにはいかない。あの特別な女でなければいけない。

覚えたてのタイ語で「人を待っているんだ」と伝える。チッという舌打ちが聞こえたが、視界が広くなりあの特別な女をまっすぐに見ることができた。もう邪魔が入って欲しくない。おれはあの女に、声をかけた。「一緒にのまないか?」


女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに顔をほころばせた。うそっ、みたいな声を出した。想像していたより高い声が美貌に似合わず愛らしかった。「わたしはノイ」と名乗った。ノイは恥じらいながらもおれに興味を持っているようすでぽつりぽつりと話しかけてきた。

話し始めたらすごく気が合った。バーに入ってから二時間ほど過ぎたころ、おれはノイの腰を抱き、二人でホテルに帰ることに成功した。


「うれしいわ」
「うん」

鼻先が何度か付くようにささやきあい、ベッドに倒れこむ。ノイの体は適度な湿り気でもっておれの肌を刺激し、ノイの大きな瞳はおれを魅了し、ノイのかすれた声は息ひとつでさえ愛おしい。


その日の行為は今までの誰よりも時間をかけた。ノイが気持ちよくなっている姿が見たい、と執拗に乳首やクリトリスを責めた。恥ずかしがらなくていい、おれに可愛い声をもっと聞かせてと囁いた。

ノイはイクまでに時間のかかるタイプだったが、おれは丁寧に愛撫して、イかせた。おれの腕の中で痙攣する姿は愛らしい。舌も使って責めてやることにした。連続でイかせ続けた。指先まで震わせるノイの美しい姿は、おれを満足させた。

ノイの中がトロトロに濡れているのを確かめ、挿入の体制になった。ノイは荒い息で「まって、わたしにもさせて」と言ってきた。口でしようとおれのモノに顔を近づけてくる。気持ちは嬉しいが、今夜はお互いに気持ちよくなるための夜だ。だからわざわざ口でしなくていい。特に君はそんなことしなくていい。おれの腕の中で何回でもイクところを見せてくれて、最後に一つになれれば、他に何もいらないんだよ。おれは優しくノイを制し、くちづけをしたあと、一気にノイを貫いた。


二人の結合部分はこの上ない愛と快感をもたらした。最初は動いていなかったノイの腰も、徐々に快感を求めて動き出し、おれの下でいやらしくくねり始めた。おれが腰を突き出すたびにノイの中はぎゅっと俺自身を適度に締め付けてくる。やっぱり最高の女だ。何度も早く突き、ゆっくりと引き抜く。ノイの苦しそうな顔は、快感を我慢しているのだろう。我慢なんてしなくていいんだよ、もっと気持ちよくなれよ。そう言うとノイは目を細め、泣きそうな顔でうなずき、喘ぎ声を出し始めた。可愛い声だ。もっとよがらせてやりたくなる。おれの汗がノイの顔にしたたり落ちる。

今、国境も言葉も越えて二人は繋がっている。その事実が、摩擦の快感に温度を足してくれる。ノイの中に何度も精を放ち、俺はノイを抱きしめてベッドに沈んだ。

 

行為の後もおれはノイの頭を撫で続けた。離れたくなかった。しばらくそうしていると、彼女は甘い声でささやいた。

「いつ、日本に、帰るの?」

やっぱりこういうことを聞くんだな。おれは「明日」と答えて天井を仰ぎ見た。「きっとまた来るよ。すぐに」そう付け加えて、おれは勝手に納得した気持ちになって眠くなり、携帯のアラームをかけて眠りに落ちてしまった。




目が覚めるとノイは居なかった。一瞬疑ったが、財布の中身は無事だ。念のためセキュリティボックスに貴重品を預けてからバーに出かけていたのだ。しかし財布の中のタイバーツ(タイの通貨)もまったく手がつけられたようすが無い。枕元には「ありがとう」の英語とメールアドレスが書いてあった。別れ際までなんて可愛い女だと思った。


荷物を整理し、空港に向かう。余裕を持ってホテルを出たので、スーツケースを預けたら何か食って、みやげを買って帰ろう。



予定通り早めにスーツケースを預け、手荷物チェックを受ける。ここを抜けたら搭乗口近くで何を食おうか…そんなことを考えていると、まとまった数の足音が聞こえる。人が集まってくるのが感じられた。何だ? 何が起こったんだ? 集まってくるのは警官風の男、それにスーツ姿の男。やつらが群がって掴みあげたのは……おれのカバンだった。

おれは何も…と言おうとしたが、それより先に両脇を男につかまれた。足が地につかないくらい力ずくで「別室」におれは連れて行かれた。「別室」での尋問は震えるほど恐ろしいものだった。言葉のわからない国で罪に問われるというのは、これほどまでに恐ろしく、震え上がるものなのかと思い知った。



……おれのカバンに覚醒剤が入っていた。丁寧に、風邪薬などをしまっているピルケースに小さな袋を紛れ込ませてあった。おれの知らないうちに誰かが入れたのだろう。誰か、というのは言うまでもない、ノイだ。後から面会に来た日本人に聞いたところ、どうやらおれは彼女を怒らせたようだった。彼女のことをいやらしい視線でさんざん嘗め回し、セックスは乱暴で身勝手だったというのだ。「わたしのからだはおもちゃじゃない、敏感な部分を強く擦られたり、挙句無理やり挿入してきた。声を出せとか要求されて気持ちが悪かった」というのが彼女の弁らしかった。そして、あれだけ好き放題したのだから、チップははずんでくれるものだと思っていた。それがあろうことか、「相場」といわれる金額しか渡してこない。なんて非常識な日本人だろうと思った、と。

「でも仕方ないわね、タイに覚醒剤と女を求めてやってきたキ○ガイだったのよね」

彼女はそう締めくくっていたそうだ。


彼女みたいな女は、自分にどれだけの価値があるかを知っている。自分に敬意を払う男には今回のような悪戯はしない。やることだけやってすぐに眠ってしまったおれに、彼女なりの制裁を下したのだ。


タイの警察は「密告者」に報酬を出す。ノイはおれの覚醒剤所持を密告したことでいくらかの報酬を受け取ったことだろう。おれに対する報復としては充分なものであったに違いない。そしておれは「覚醒剤所持・密輸」の罪で拘束の身だ。これから刑務所に入ることになるらしい。何人かの日本人が面会に来てくれて話してくれたが、これはよくある手口の冤罪らしかった。おれはまんまと騙されたわけだ。おれはきっと刑務所に入る。そして、出所後はタイに入国することはできなくなるらしい。あの日の朝、ノイが書いてくれていたメールアドレスは本物だったのだろうか? それとも、あれすらも空港までおれを騙すための手口だったのだろうか? 

正直もうどうでもいい。おれはしばらく日本には戻れない。会社にももう戻れないだろう。起業の夢もほぼ、消えたと思っていいだろう。


行きの飛行機の中では、こんな結末は予想だにしていなかった。おれは一体何をしているんだ。毎晩毎晩女を買い、自分勝手に振舞っていただけだった。彼女達が笑顔を見せてくれるから、何でも許されるものだと思い込んでいた。セックスの時だって、いやな思いをさせていたなんて思いも及ばなかった。

後悔先に立たずとはこういうことを言うのか。

これからおれは気候も食事も言葉も慣れぬ異国の地で受刑者となる。日本は「更正」を目的として服役するが、タイでは「懲罰」として服役することになるから覚悟しておくように、と言われた。


おそろしい刑務所の中のようすを思い浮かべたおれは、失禁し、次の瞬間気を失った。


☆おわり☆