novelsのブログ

お題にもとづいた短編小説やふと思いついた小説を不定期更新します

スイミングコーチ真理子の憂鬱【1】





こんにちは。一昨日更新した「短編小説の集い」のテーマが「雨」でした。これにかなり苦戦し、2日間ずっと雨のことばかり考えて過ごしていました。



そして本日発表されたはてなブログのお題が「梅雨の風景」……。またしばらく、違う意味で「雨」に悩まされそうです。

それでは今日も、お題にちなんだ小説を更新します。少し長くなりそうですので、何回かに分けて更新します。梅雨を無理やり絡ませた感があります。スミマセン。


今週のお題「梅雨の風景」





スイミングコーチ真理子の憂鬱【1】

 
 加藤真理子がここでアルバイトを始めたのは、単純に就職に失敗したからだ。必死で取った教員免許だったが、その年の教員採用試験に受からないと、結局学校で働くことはできないのだ。

 真理子は子どもがすきだ。彼らは純粋だから。人は成長するにつれて、賢くなったりずるくなったりする。子どもは純粋だ。不純物の構成比が低い。人を相手にする仕事につく場合、不純物の構成比が高い層を相手にするほど、心が磨耗することはきっと誰もが知っている。

 
 真理子は市営のスポーツ総合施設で働いている。一階は吹き抜けの気持ちのいいロビーになっており、河川敷に面している。三階にはマシンジムと柔道場、エアロビクスなどを行うAルームとBルームがある。そして真ん中の二階が、真理子の持ち場であるプールだ。

 ここのマシンジムとプールは会員制ではない。市民なら年齢に応じて一日200円から500円のワンデーチケットで施設を制限時間無く使うことができる。たくさん通いたい人は多めに綴ってある回数券を買うと、一回あたりの利用料を150円まで下げることができる。利用客の六割が回数券組、四割がワンデー組だ。


 真理子はこの市営プールでスイミングスクールのコーチ兼監視員としてもう二年、働いている。朝は十一時に出勤しプールの監視に入る。監視は常に二人体制なので、交代で監視の合間に水質検査を行い、水飲み場がきれいになっているかなどをチェックする。すべり台などがある子どもプールも併設してあるが、季節は六月。まだ水遊びという気分ではないのか、施設は空いていて、健康目的やトレーニング目的の大人の空間になっていた。

 午後二時に一度、三十分の休憩に入る。ここで軽く胃に何か入れておかないと、この後がもたない。スイミングコーチは体力勝負だ。ここのコーチは真理子を含め四人いるが、昼食は牛丼や多めの弁当などを食べるコーチがほとんどだ。

「加藤先生、夜まで持たないですよ、もうちょっと食べた方が」

 真理子がゼリー飲料を飲んでいるのを見てコーチの一人が言う。できるならそうしたいのだが、泳ぐ直前に牛丼なんて食べたら、プールで少し動いただけで気持ちが悪くなってしまいそうだと真理子は思った。

「胃が弱いって前も言ったでしょ? 多めに飲んどくから大丈夫!」

 真理子はひょろひょろの貧弱な体型だが、体を鍛えるためにマラソンもするし、最近では登山も始めた。胃弱体質を除けば健康そのものだ。

 お給料のいい仕事ではないので、髪は伸ばしっぱなしで前髪もぜんぶ後ろでひとつにまとめている。仕事柄、化粧の必要が無いのでメイクもしない。全体的に顔のつくりが薄く、目の色素も薄いわたしは、メイクをしないと顔がのっぺらぼうのようだ。たまにはメイクをして出かけたい、そんな気持ちを押し込めるように真理子はゼリー飲料を飲み下す。


 午後三時、ここからが本格的な仕事だ。市営プールの半分をスクール用に区切り、赤いフロアーで水深を子どもの背丈に合わせる。幼稚園の子どもたちのクラスが始まる。

「まりこせんせー、こんにちは!」

 明るいあいさつが真理子を先生の顔にする。真理子の受け持ちは少し水に慣れた子どもたちだ。両腕に赤い浮き輪をつけて浮力を借りながらも、自分の力で前に三メートル、五メートルと進む。浮き輪なしで五メートル進めたら次の級に進めるが、泳げるようになる前に水を怖がってしまうと、子どもは水泳がきらいになる。来なくなる。だから「もっと前に!」ではなく「その調子だよ!」と子どもの気持ちが常にハッピーであることを心がけた指導をするのがここの特徴だ。

 その後は午後五時、六時半に小学生を相手に本格的な泳ぎの指導クラスを受け持つ。本格的と言っても、スイミング専門のスクールではないから、「泳げるようになる」ところがゴールのやさしいものではあるが。ここで泳げるようになって、本気で水泳をやりたくて、近くのスイミング専門スクールに移る子どももいる。

 泳げない子どもは、四種目泳げるようになることを目標に、必死で泳いでいる。息継ぎのタイミングをまちがえてむせる子ども、前を泳いでいる子どもを抜こうと必死になる子ども、練習の中盤、疲れて泣いてしまう子ども。 


 夜七時半にすべてのスクールが終わると子どもたちを送り出し、プールの赤いフロアーとコースロープを元の位置に戻す。真理子はこの時間が大好きだった。子どもたちと接するときははずしている、お気に入りのミラータイプのゴーグルを付け、プール内を悠々と泳ぎ回りながらフロアーを所定の場所に集め、スロープでコースを区切る。市営プールをもとの姿へと戻していく。フロアーの赤い台は、慣れた手つきで男性コーチが二人で協力し、プールの上に出して片付けていく。

 この後はシャワーを浴びて着替えをし、一日が終わる。ここの仕事は基本シフト制だが、クラスを受け持っているコーチはほぼ、クラスの無い曜日に休みを取ることになる。真理子の場合は木曜と日曜がそれにあたる。連休が無いのは嫌じゃないかと聞かれることがあるが、体力勝負のこの仕事、五連勤するほうが体に負荷がかかる。真理子は今のシフトが気に入っていた。


 シャワーを浴びていると管理室から大学生バイトの男の子が駆けてきた。(プールサイドは走ってはいけないのだが)

「加藤さん、すみません、六時から十時の監視、近藤なんですけど、彼がまだ来てないんです。電話もつながりません。僕、六時半までのシフトだったんですけど今まで代わりに勤務してました。でもすみません、今日どうしても顔出さなきゃいけない飲み会があって、八時で上がれたらホント助かるんですけど……」

 飲み会、というのを素直に言うところに真理子は好感が持てた。六時半から今まで何も言わずに監視の代わりをしっかりやっていたのも見ていた。

「いいよ、わたしが代わる。近藤君、多分シフト勘違いしてるよね。前も一回あった。大丈夫、わたしが代わるよ。Tシャツ着てくるからあと五分だけ、いい?」

「ありがとうございます! スクールやって疲れてるのにすみません」

 真理子は更衣室で私服に着替えるのではなく、水着の上にTシャツと短パンをつけて、もう一度プールにもどる。今から監視を代わっても、最長で十時の閉館までだから二時間程度だ。監視は体力も使わないし、こういう時はお互い様だ。気持ちよく代わってあげたい。

「加藤さん、本当ありがとうございます! 近藤には俺からもシフトちゃんと見ろって言っときます!」

 大学生バイトはきちんとお辞儀をして帰って行った。他のコーチ達も、今度何かあったら俺が代わるから、等声をかけながら帰って行った。



 真理子が夜の監視に入るのは久しぶりだった。この市営施設では、スクールを受け持っているコーチは、特別なことが無い限りスクールの終わる夜七時半に勤務が終わるようになっている。毎日のことだから、コーチの体力面を考慮してくれているのだと思う。夜のプールは外からの光が入らず、人工的な電気の光だけで照らされている。窓の外はすっかり暗くなっている。

 室内にいたので全く気づかなかったが、外は雨が降り始めている。けっこう強い降りだ。夕方から降り始めたのでは、通勤帰りの勤め人はみな憂鬱になってしまうだろう。


 監視台に腰を据えると、いろんな人が泳いでいるのが見える。水泳部でならしたであろうしなやかな泳ぎの人もいれば、ビート板でひたすらバタ足をしている人もいる。誰もが水と向き合って一定の静けさを保つ夜のプールは、異質な空間のように感じた。外が暗いからかもしれない。

 安全確認を怠らないように、視線を走らせる。プールサイドをぐるり一周、各コースの人数、プールに入ってくる人には、こんばんはーと声をかけ、出て行く人にはお疲れ様でしたーと声をかける。ちゃんと見ていますよ、のしるしでもあるし、気持ちよく施設を使ってほしい気持ちもある。
 

 時刻は八時半を回った。「こんばんはー」より「お疲れ様でしたー」の方が圧倒的に増えてきたそのとき、一人の男がプールに入ってきた。年齢は真理子より上だろうか。彼は監視台の真理子に向かって一礼をした。真理子は一瞬たじろいだが「こんばんはー」とスイミングコーチ特有の声であいさつを返す。 仕事が終わって一泳ぎしたくて、この時間に駆け込んで来たのだろうか。市営なので夜は十時で閉まってしまう。着替えの時間を考えると、プールにいられるのは実質、九時四十五分までが限界だ。

 男は入念なストレッチを行い、シャワーを浴びに行った。ちらりと時計に目をやり、水に浸かる。しなやかなフォームだった。筋肉質というほどでも無かったが、普段から運動しているのかも知れない。日頃、高齢者や子どもばかりのプールしか見ていない真理子は、たまには残業もいいな、と普段とちがう感覚を味わっていた。


 スイミングコーチの仕事をしている、と言うと聞こえはいいが、実際のところ出会いは無い。コーチ同士で仲良くなる、というケースもあるにはあるが、この施設は大学生のアルバイトと主婦のパートを中心にスタッフを構成しており、真理子のようにフルタイムで働くコーチは専門職の嘱託社員として扱われ、同じ立場の人間は数人しかいないのだ。そして今真理子と同じ嘱託社員のコーチは皆、結婚しているか長年交際している相手がいる。職場として落ち着いた環境ではあるのだが、真理子にとって出会いはほぼ無い状態だった。

「やっぱりお見合いとかになっちゃうのかな……」

 目はしっかりとプールに走らせながら、真理子はつぶやいた。さっき入ってきた男は相変わらずしなやかなフォームで悠々と泳ぎ続けている。一時間この調子で泳ぎ続けたら結構な運動量になるだろう。プールからは一人、また一人と上がる人が増えていき、残っているのは「閉館ぎりぎりまでがんばる社会人組」だけになった。


 九時四十五分。真理子は監視台からゆっくりとおりて、最後のお客さんたちを見送る。申し合わせたように六人の「がんばる社会人組」はプールから上がり、真理子に会釈して更衣室へと吸い込まれていく。

「雨、気をつけて帰ってくださいね」

 見送るあいさつに一言、真理子なりの気遣いを入れた。

 プールに誰もいなくなったのを確認し、管理室のスタッフに手伝ってもらい、プール全体にビニールの覆いをかける。一日がんばったプールに布団をかけているようだ。十時ちょうどに、真理子はタイムカードを押して着替えをし、すぐに施設を出た。


 家までは自転車で十五分だ。しかし雨は想像より強い。この降りでは、自転車で傘をさして走るのは危ない。仕方ない、時間はかかるが歩いて帰ろう。そう決めて自転車は置いたまま歩いて帰ることにした。施設の門を出ようとしたとき。


「あの、失礼ですが」

 男の声がした。車の窓を開けてこちらに話しかけている。

「はい」
「監視をされていた方ですよね、プールの。僕、先ほどまでこちらでプールを使わせて頂いてました。あの、お近くですか?」

 真理子は驚いた。スーツ姿に和風で端正な顔立ちの男にいきなり声をかけられたのだ。よく見ると、さっきしなやかなフォームで泳いでいたあの男だと気づくと、真理子の胸はドキンと高鳴った。

「はい。普段は自転車です。近くです」
「ご迷惑でなければ、お送りしたいのですが。怪しいものじゃないです。この市で会社員をしています。施設の初回利用の時に本人確認もしていますから、けして……」

 自分が怪しいものではないことを必死で説明しようとするのがおかしかった。真理子の施設では、初回利用のとき、市内で働いている人は社員証、市内在住の人は免許証などの提示を求められる。提示が無い場合は施設は使えない。

「……あの、でも大丈夫ですから」
「こうしている間も濡れてしまいます、本当に、乗っていただいたら免許証もお見せしますから、とにかく乗ってください」

 男は車から降りて助手席側に回り、ドアを開けた。勢いに負けて真理子は助手席に乗り込む。男が運転席に戻ると、財布を取り出し、免許証を真理子に渡した。もうひとつ、近隣の住所が書いてある社員証も渡してきた。

「この先の国道を左に曲がったところにあるビルですよ、僕の会社。ここは会社から近いので週に二回ほど使わせてもらってます。住所は免許証の通り。ここからだと車で四十分くらいです」

 空港の出入国カウンターでパスポートと本人を見比べさせるような慎重さで、男は真理子に向かって身を乗り出した。

「……律儀な方ですね。大丈夫です、怪しい人だと思っていたら乗りませんから」
「なら良かった。ご自宅はどちらの方ですか?」
「ええと、真っ直ぐ行って国道手前で右に曲がったあたり、です」
「わかりました。まずそのあたりまで行きますから、そこでまた教えてください」


「いつもこんな風に、困っている人を見たら助けるんですか?」

 沈黙を破ったのは真理子の方だった。

「気づいたときはそうします。いつも気づける余裕があるようにしているつもりだけど、どうしても気づけない時っていうのもありますから。だから、いつもではないですね」
「泳ぎ、上手ですね」
「見られてましたか。本格的にやってたのは中学まで。結構好きで。高校からは全く別の方面に夢中になってしまって、やめてしまいました」
「別の方面?」


☆【2】へつづく☆


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