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novelsのブログ

お題にもとづいた短編小説やふと思いついた小説を不定期更新します

君のいない日々






君のいない日々


「ただいま」
「遅かったね、また残業?」

   恭一は嫌そうな顔ひとつせず、出迎えてくれた。


「うん」
「家のことはやってあるから、早く寝た方がいいよ」

 恭一は優しい。男尊女卑の正反対にいるような、理想の彼氏だ。上品な短髪にきりっとした目。大学を卒業してからずっとある企業で庶務の仕事をしている。庶務と言っても、営業さんにパソコンの使い方を教えることから、企業ツイッターの運営まで幅広い。会社は小さいが、ニッチな分野の仕事らしく収入は安定していた。

 わたしは短大を卒業してから職を転々とし、やっと見つけた今の、派遣会社の営業の仕事で限りなく疲弊していた。風呂に入って髪を乾かす時間さえ惜しく、ベリーショートにした髪。数年、ユニクロのブラトップしかつけていないやせた胸。毎日歩き回って自然に痩せた身体。痩せていても顔は並の中レベル。化粧だけは仕事の一環でばっちりメイクだ。

正直、消耗戦のような毎日だ。しかし今の仕事をやめても雇ってくれる会社があるとは思えない。週に二回きちんと休みが取れることだけが唯一の救いだ。

 帰宅が遅くなる確率はわたしの方が高かった。わたしはどうしても、人の話をうまく切り上げて早く帰宅することができないのだ。その結果「帰りたい」と顔に書いてある状態で嫌々その場にいることになり、誰も幸せにならない。どうすれば誰も傷つける事無く自分も幸せになれるのだろう? 


「ありがとう、でも少しだけ書いてから寝たいの」
「……そう、何か食べる?」
「コンビニでおにぎり買ってきたから、書きながら食べる」
「……そう、お茶入れるよ」
「お茶よりコーヒーがいいから、大丈夫、自分で淹れる」
「凛。……何でもない。無理しないでね」


 帰宅して一度も恭一の目を見なかった。それはべつに悪いことではないと思っていた。


 凛が帰宅したのは十一時過ぎ。それからわき目もふらず凛は小説を書き続けた。夜中の二時半を回ったころ、さすがに目が半開きになってきたことに気づき、区切りのいいところで書くのを止める。それから凛は日課にしているブログに仕事のことや今の気持ちをさらさらとつづり、好きな写真を一枚選んで添え、更新する。

 小説を書くのが創造することなら、ブログは整理することだ。だからどんなに小説で書き疲れていても、ブログは書きたい。日課のようなものであり、自分が今日を生きたという楔のようなものだった。


 深夜三時。ダブルベッドにもぐりこむと、恭一は寝返りを打った。今日も全然話せなかったな。いつも家をきれいに整えてくれて、わたしが好きなことをしていても文句を言わず好きにさせてくれる。ごめんね、ありがとう。
 


☆☆☆



 その知らせは突然だった。凛の職場に病院から電話がかかってきた。恭一が交通事故で重態だという。恭一はただ郵便局に行くために歩道を歩いていただけであり、乗用車が突如歩道に乗り上げて、恭一は腹部を車と建造物とに挟まれ、出血多量の重態だという。


 凛が病院に駆けつけたとき、恭一はたくさんのチューブと口には酸素マスクがつけられた状態で家族に囲まれていた。恭一の家族には何度も会ったことがある。皆涙目で、恭一の容態を見守っている。

「恭一……」

 凛は何から話せば良いのかわからなかった。いつも家を整えてくれて、わたしのやりたいことを優先してくれていた恭一。つきあい始めた頃は、恭一と交代で見たい映画を決めて一緒に見たり、見終わった後はどんなことを思ったか、ただただ話した。お互いが今何を感じているのかを何よりも大切にしていた。

 しかし最近のわたしは、自分の中にあるものを書き出すことだけに必死で、恭一が何を考え、何を感じているのかに気を配ったことなどなかった。恭一がいるのが当たり前、恭一が家のことをしてくれて当たり前、わたしはわたしの人生を優先して当たり前。恭一がいなくなるなんて考えない。そんな確率の低いことは考えない。



「残念ですが」

 医師の声はそこから先、耳に入らなかった。恭一にもう会えない、今までは自分勝手にさせてもらったから今日からわたしが恭一に尽くすよ、なんてことも言えないし何も返すことができない。今日は戻らない。昨日の夜、わたしはなぜ、恭一と一緒に夕食をとるために早く帰ることができなかったのだろう。おとといの夜、わたしはなぜ、恭一が誘ってくれたのにDVDを一緒にみなかったのだろう。せっかくの休みに小説ばかり書いて、恭一と映画に行かなくなったのはいつからだろう。

 涙はお通夜の間も葬儀のときも恭一の家族が遺骨を持ち帰ってからも日常が戻ってきてからも、ぜんぜん止まらなかった。ただ泣いていた。泣きながらたまにジュースを飲んで、泣きながらたまにネットで買ったゼリー飲料を飲んだ。泣くだけで三ヶ月の時が過ぎた。


☆☆☆


 やっと止まった涙と、やっと感じた空腹と、久しぶりに電源を入れた携帯電話が時を刻み始めた。恭一に対する後悔はきっと一生消えない。もう、後悔しない生き方をしようと決めた。

 
 久しぶりにパソコンの電源を入れてブログを更新する。読んでくれる人は減ったような気もしたが、そんなことよりも書くことそのものが、今生きていることを紡ぐ織り機のように思えて、ずっとずっと書いていた。

 ひととおりブログを更新し終わると、つぎに小説が書きたくなった。泣いている時期は小説というものをうらんだことすらあったが、やはりわたしには小説がないと生きていけない。書かないと、わたしの時計は動かない。
 
 書いては保存し、書いては保存する。そのうちに大きな波がわたしをつつみ、ひとつの壮大な物語が浮かんできた。わたしはそれを一度書こうとしたが、このまま書いてはだめだと思い、どういう展開になるのか、どういう人が登場するのかを詳しく書いた。展開を何度も練り直し、登場人物がよりリアリティを持つよう何人かの友人と会って人間描写を深くし、ある職業については取材依頼をして知見を深めた。


 そうして書いた作品が、初めて自分で納得できる長編小説になった。書き終えた後は抜け殻のようになり、しばらく何もできなかった。

 貯金も底をつき、働きに出なければならない状態になり、わたしは初めてその小説をある雑誌社の賞に応募した。受賞すれば賞金がもらえる。その金額があればわたしは一年暮らしていける。



 世の中そんなに甘くはない。その回の新人賞は受賞作無しという結果が紙面で発表された。まあ、そうだよね。わたしは自分を納得させ、バイト探しのためネットを開く。


   恭一に言われたことを思い出す。

「無理しないでよ」
「ちゃんと食べてね」
「好きなことやってるときの凛が好きだよ」
「……今度の休み、映画見に行かない?」


 わたしは映画館でバイトをすることに決めた。お金は少しでいい。もう自分の心をすり減らして働くのはいやだし、見栄のために着飾る必要も一ミリもない。

 恭一の月命日には必ずお墓参りに行きたい。恭一の好きそうな映画を見て、一緒に見ている気持ちになりたい。恭一が生きている間にあげることができなかったわたしを、ぜんぶあげたい気持ちだ。だけどわたしが死ぬことなんて恭一は望んでいない。だからわたしは、わたしなりのやり方で恭一に「ありがとう」を伝えていく。


 映画館のバイトが終わると、まっすぐ家に帰り、鍋に残っているカレーライスを食べ、すぐ小説を書く。バイトの時間は一日七時間で、小説を書く時間も一日七時間だ。バイトのない日は一日七時間書いて、残りの時間は本を読む。月に20冊くらい読む。


 そんな日々の中、次に新人賞に応募する作品のタイトルが決まった。それは「君のいない日々」というありふれたタイトルだったが、わたしは自信があった。書き上げて印刷し、出版社に送った直後、いつもはとおらない川沿いの道を通った。そこは恭一と歩いたこともある川沿いの道だった。初夏の軽い陽射しの中、とつぜんさわやかな風が吹いた。わたしの心が鋭敏になりすぎていただけかもしれない。

 でも確かにわたしは、その風に、恭一を感じた。


☆おわり☆ 
 

 

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