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お題にもとづいた短編小説やふと思いついた小説を不定期更新します

【第25回 短編小説の集い参加作】白い部屋で彼女は

 

【第25回】短編小説の集いに参加します。
約1年ぶりの参加です。よろしくお願いします。

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白い部屋で彼女は

 

 

 加奈子はとても、とても真っ白な病院にいた。まったくなぜ自分がこんな病院で行動を制限されなければいけないのか。理不尽な強制入院にわきあがる怒りをおさえて、いつもどおりの朝と昼と夜をただ過ごしていた。
 
 加奈子は美しい顔立ちをしていた。化粧をまったくしない病院生活の中でもその美しさは際立っていた。病院は、男女を完全にわけられており、加奈子のいる病棟には女性患者しかいなかった。看護士もすべて女性。カウンセラー(加奈子はカウンセリングなど必要ないと思っていたけれど)も女性。唯一、精神科医だけは優しい面立ちの、初老の男性医師だった。物腰やわらかで、だけど常になにか探っているようなまなざし。加奈子は男性医師の前では常に緊張していた。


 その日、加奈子はカウンセリングも診察もなかったので、一日暇であった。加奈子には個室があてがわれ、シンプルなベッドに仕切りだけのトイレが部屋にあった。腹立たしいことにバスタブはおろか、シャワーさえなかった。夏場は週に3回、冬場は週に2回、共用のバスルームを使うことになっていた。

 何もしないまま昼になった。白い部屋で、配膳された昼食に仕方なく箸をつけていると、隣室の拒食症の女が、看護士にキレている。部屋のドアはそれぞれ格子状になっているため、声は筒抜けだ。甲高く泣きそうな声が響く。声優か……と思うような声だった。か細いけれど。

「あたしの食事は一日800キロカロリーじゃなきゃだめなの! 朝のご飯の量、増やしたでしょう? あれで400キロカロリーはあるから、お昼ご飯は食べられないんです! 毎日言ってますよね? どうしていつもあたしを太らせようとするの? 信じられない!」
「大丈夫よ、この量では太らないってお医者さん言ってたじゃない。あなたまだ20代でしょう? 20代の女性は1800キロカロリー取るのが普通だってあなた理解したじゃない。いまの食事は400キロカロリーが3回だから、大丈夫、大丈夫なのよ、だから……」

 励ます看護士の声もむなしく、ほどなく昼食の入った食器は床へと投げ捨てられた。彼女は今日も、800キロカロリーしか食べないつもりだろう。そんなんじゃ永久にここから出られないのに、と加奈子は思った。そして、多少食事の量が多かろうと太らない自身の女性らしく華奢なからだを見て、優越感に浸っていた。

 別の部屋から、看護士の「やめなさい!」という声が聞こえてくる。またあのちょんまげ女だろう。前髪に変な癖があり、ちょんまげのようにくるんと巻いてうねっている。あの女には妙な癖があり、小さなものから大きなものまで、昆虫を見ると分解してしまう。そしてその足、触覚、最後に胴体までも口に入れてしまうのだ。一度大きな油虫を飲み下し、夜中に大きな喉音をたてながら吐いているのを聞いた。各部屋の便所と台所の生ごみにばかりたかる虫を飲み込んだのだから当然だ。しかしあの女は今日も懲りずに、窓のすき間から入ってくる虫の足でももいでいるのだろう。やめろと言われてもどこ吹く風。


 ふと気づいた。今日は逆の隣室がやけに静かだ。自殺未遂ばかりする30代の女。共用のバスルームで会ったとき、両腕の内側にびっしりとリストカットの跡が残っていた。飽きないのかしら、と加奈子は思った。加奈子の腕には傷が一つもない。加奈子は自殺をする人が理解できなかった。しかし隣室の女が静かすぎるのも気持ちが悪い。加奈子は通りがかった看護士に声をかけた。

「ねえ、今日は隣の部屋、静かじゃない? なんで?」
「今朝、別の場所へ移ったの。誰もいないのよ」

 別の場所……加奈子の胸がざわめいたが、すぐにそのざわめきを落ち着かせた。白い壁を眺めて深呼吸を繰り返す。拒食症の女が今度は下剤をよこせ! と乱暴な口調で怒鳴り散らしている。さらに耳を澄ますと、遠くの部屋からうめき声が聞こえる。日が落ちてくると、今度はすすり泣く声が聞こえてきた。まったく、精神病院というのは一日中やかましい。少し静かにできないものだろうか。声は筒抜け、自慰もできない環境で、加奈子はかなり倦んでいた。あと一年で大学も卒業なのだし、早く戻りたかった。

 

「こんな環境で、良くなるとは思えないわ」

 そうしていると、看護士が一人、加奈子の部屋をノックした。気を使っているのか、部屋には入ってこず、ドア越しに話しかけてくる。ドアは格子状なので、看護士の顔は見える。

「明日、お母さんが面会に来るから」
「ああ、わかりました」
「遠くから来てくれるんだから、話すことをまとめておいてね」
「話すことなんてないので大丈夫」

 看護士はそれ以上何も言わず、部屋の前から去った。


 翌日、加奈子はいつものように目を覚まし、味の薄い朝食を食べ、軽く身なりを整えると、母親との面会場所へ向かった。ついてこなくていいのに看護士がついてくる。会話をしている間も、何かべつのことをしているようだが、会話が聞こえるくらいの場所にすわっている。加奈子は人に会話を聞かれるのが嫌いなので、母親が面会に来てもほとんど、ああ、とかうん、しか話さなかった。看護士が聞いている前で、家族の会話なんてしたくない。

 母親はすでに座って待っていた。加奈子も向かい側の席に座る。

「ねえお母さん、来てくれるのはいいんだけど、一体いつになったら退院させてもらえるの? わたしどこも悪くないの。この病院、頭のおかしい人ばかりで、こっちまでおかしくなりそう」
「加奈子、退院はまだ先よ」

 母親は力なく言った。

「ねえ、せめてドアどうにかならないの? 叫び声とか筒抜けでうるさいし、プライバシーも何もないんだけど」
「大部屋より、いいでしょう。一人なんだから」

 確かにそうだった。大部屋なんてかなわない。いつだったか、6人部屋で眠っていたら、同室の女が加奈子の布団へ入り込み、性器を触って来たことがあった。それだけでなく、2日風呂に入っていないその女の性器に触れと言う。汚いから絶対に嫌だった。加奈子はそのとき……。

 そこまで思い出したとき、加奈子は激しい頭痛に見舞われた。


「……痛っ……頭が……」

 加奈子はその場にうずくまり、頭をかかえて小刻みに震えていた。看護士が駆け寄り、加奈子を包むようにして立たせる。

「お母さん、今日はここまでです」

 看護士は母親にそう伝えると、加奈子を別室へ連れていき、注射を一本打って眠らせた。加奈子の思考はぷつりと切れた。



「加奈子は、大丈夫ですか?」

 面会場所で一人残った母親と、看護士が向き合って話をしている。母親は疲労した様子だった。

「薬で眠っています。彼女は、まだ自分の状況を受け止める気持ちにはならないようです、残念ですが」
「そうですか……」
「わたしたちに対しては、高圧的ではないものの、まるで自分がただ入院しているだけのように振る舞っています。要求を無理に通そうとすることもありませんが、とても反省しているようにも見えません。きっと、一連の出来事すべてを、なかったことにして、それまでの彼女の日常を、ただ過ごしているんです。面白くもないけれど、未来のある彼女の日常を」
「あの、まだわからないんですが、あの子のしたことは……」

 母親は下を向いて肩を震わせた。
 


 加奈子は白い天井を見つめていた。さっきの頭痛は何だったのだろう。なにかとてもいやなことを思い出したような気がする。まあ気のせいかもしれない。もう少し休んだら部屋に帰らせてもらおう。やることはないけど、あの部屋にいれば朝がきて、夜が来るから。
 


「加奈子は、ずっとここで一生を過ごすのでしょうか?」
「そうなってほしくはありません。罪を罪だと思うことができて、それを償いたいと思えるなら、少しずつですが、社会復帰できるんです」
「昨日も、被害者遺族の会から手紙が届きました。謝罪の気持ちを示してほしいと。母親のわたしが頭を下げたってだめなんです。遺族のみなさんは、加奈子に、謝罪を求めているんです……でも……」

 母親は涙をにじませた。母親の胸中は複雑であった。加奈子は、6人の人間を殺した殺人犯だ。殺し方にメッセージ性をもたせているあたり、猟奇連続殺人とも言える。事の発端は大学時代のアルバイトだった。

 

   加奈子は整った外見をしていたので、アルバイト先でも電車の中でも夜道でも、危険な目に遭うことが多かった。そのたびに息を切らせて走って逃げ帰ってくる。

 いつからか、加奈子はその美貌を武器に、用心棒代わりに彼氏をつくるようになった。加奈子が選んだのは、腕っぷしの強い男だった。しかしその男との関係がうまくいかなくなると、男はストーカーになった。加奈子を待ち伏せ、復縁を迫った。男と女の関係は、どう足掻いても一度壊れたものは元には戻らない。男は復縁できないことに苛立ち、とうとう加奈子に暴行をした。あろうことか、集団暴行であった。

 4人の男と2人の女によって、加奈子の体は弄ばれた。その一部始終を撮影しており、それによって「誰にも言うな」と脅していた。

 加奈子は屈しなかった。6人を一人ずつ待ち伏せして、順番に殺していった。方法はさまざまだった。細身の加奈子が襲い掛かってくると思わなかったのか、女2人は路地で刺されてあっけなく死んだ。4人の男に対しては、事前に睡眠薬を飲ませてから殺した。すべて、ラブホテルへ誘い出して、ある男に対しては情事をさせてから殺していた。捨て身の殺人であった。加奈子は、自分の身を守るために、そして二度と自分のような被害者が出ぬように、入念に計画を立て、殺した。それを「計画的な猟奇殺人」とする法に対し、母親はどうしても、加奈子に「悪いことをしたと謝りなさい」とは言えなかった。

 

   事件後、加奈子が性被害を受けていたことも明るみに出たが、加奈子が何も証言できなかったことと、時間経過により物的証拠がほとんど出せなかったこと、何より、当時の加害者がすべて死んでしまっていることから、加奈子に対する情状酌量は微々たるものとなった。彼女は一般の犯罪者とおなじように、刑務所へと送られた。


 刑務所に入った加奈子は、大部屋で同室の受刑者に性的悪戯をされた。胸を触られるくらいは我慢したが、互いに陰核を触りあうような行為を強要されたとき、加奈子は悪寒が走った。2日も風呂に入っていない女性器の臭さは、自分のものであっても吐き気をもよおす。

 加奈子は嫌悪を顔に出さず、

「触るんじゃなくて、舐めてあげる。わたし、指より舌のほうが上手なの」

 と嘘をつき、受刑者の股間に顔をうずめると、迷いなく陰核を嚙みちぎった。叫び声が響きわたり、あたりは騒然となった。女性受刑者は、すぐに医療刑務所へと送られた。真っ赤な血が噴出する股間を見て、加奈子は勝ち誇ったように笑った。加奈子は、精神を病んだ受刑者の集まる房へとうつった。その後薬で何晩か眠らされたあと、加奈子は殺人と刑務所内での傷害のすべてを忘れ去っていた。


 すべて、加奈子から手は出していない。加奈子は、やられたからやり返した。母親は、加奈子を思うと複雑な心境になり、何かしてやれなかったかと思いを巡らすも、常に堂々巡りなのであった。

 一体誰が、加奈子を裁けるのだろう? 性被害者がやり返すことに対し、それがどうしてだめなのかを説明できる人がいるのだろうか。きっと、母親が生きている間中、加奈子の起こした事件は「さまざまな立場の人が議論するだけ」で終わる。加奈子は議論の真ん中に置かれているが、もう心はここにない。それが性被害によるものか、単に加奈子が狂ったのか、それがわかったところでもうどうしようもない。

 加奈子は、精神的におかしくなっているので、医療刑務所で精神科の治療を受けている。本人は精神病院に入院していると思い込んでいるので、傍目にはおかしなところはない。刑期も無期のため、少なくとも法に殺されることはない。

「猟奇殺人」

 

   加奈子は白い部屋で、そのがらんどうの心で、ただ時だけを刻む。一生消えない「心の病」に、生きながらえるためだけの命を守られながら。