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novelsのブログ

お題にもとづいた短編小説やふと思いついた小説を不定期更新します

久夫





久夫
※グロ注意。汚い系がだめな方、食事中の方は読むのをお控えください。





 ゴロゴロゴロ……「その時」が近いことを知らせる音が鳴っている。雷の音ではない。ゴロゴロと不穏な音を鳴らしているのは、久夫(ひさお)の腹だ。

「急いで帰ればきっと大丈夫だ」

 時刻は午後五時、辺りはまだ明るい。独身フリーター三十五歳の久夫は駅から十分の道のりを急いで帰ることに決めた。今日は派遣会社へ登録に行った帰りだ。今までは力仕事系の派遣会社だったが、体がきつくなってきたので事務職に回ろうと思い、事務職中心の派遣会社に登録することにしたのだ。

 元々、体力に自信のあった久夫は、高校を卒業した後、何も考えずにパチンコ屋やイベント設営のアルバイトを転々とした。仕事に慣れると飽きてくるので違う仕事に就く、その繰り返しだった。年を重ねる中で、語学や技術の資格取得を勧めてくる友人もいたが、面倒くさいという理由だけで今日まで、力仕事のアルバイトで食いつないでしまった。同僚は年下ばかりになり、いつからか久夫はどこへ行っても一人になることが増えていた。性格も若い頃に比べて暗くなった気がする。


 ゴロゴロ……ゴロゴロゴロ……腹が痛む。駅のトイレを使わなかったことが悔やまれる。久夫の帰宅ルートは駅を離れると川沿い一本道で、そこには住宅以外の施設は何も無かった。小さな町なのだ。

 久夫は午後三時半ごろ、自分で作ったおにぎりを食べたことを思い出した。コンビニの「焼肉おにぎり」が大好きな久夫は、昨夜自分で作った牛肉炒めに軽く味をつけておにぎりにし、今朝それを持って家を出た。午前の登録会が長引いたので、おにぎりを食べたのは午後の登録会の後であった。日中は暑かったし、炒めた玉ねぎが少し酸っぱかったが気にせず完食してしまった。「やっちまった」と久夫は思った。

 久夫の腹はゴロゴロを通り越し、グルグルに変わってきている。川沿いの道を歩く。なんだか通りが騒がしい。普段は人通りの少ない道なのに、今日はみんな土手を、おなじ方向に向かって歩いている。浴衣を着ている者もいるから、どこかで祭りでもあるのだろうか? しかし今の久夫はそれどころではない。

「ああ……間に合わないっ……」

 早足で歩いているが、目の前が白んできた。普通の腹痛じゃない気がした。完全に食あたりのようだ。我慢できる痛さではない。久夫は「最悪の事態」を想像し、右手をスーツの尻に当てて押さえる。

 歩く。歩く。歩く。走ったら振動で尻の筋肉が緩んでしまいそうだから、ひたすらに歩く。早歩きを続けていると、体がその速度を覚え、ひざから下がヘナヘナと変なしなり方をする。ああ、競歩ってこういう競技なのかなあと頭を一瞬でも腹と尻から遠ざけようとする。あと三分で家に着く。なんとか持つか。万一の場合はスーツのスラックスを汚してしまう。その時はどうしようか。経済的なことを考えると正直スラックスを買いなおすのはキツイ。ええい、あと二分もあれば着く、ままよ!

 自分を鼓舞し、ヘナヘナ競歩を続ける。アパートが見えてきた。人通りの多かった川沿いから小道を入ると、いつもの静かな久夫のアパートだ。右手をスラックスの中に突っ込み、パンツの上からぐっと尻の穴を押さえる。あと少しの我慢だ。アパートの入り口に差し掛かる。久夫の部屋は二階の階段を上がってすぐの部屋だ。階段をトントンと、尻を刺激しないように上がる。

 グルグルグルギュウウウウウ……久夫の腹はもう限界を超えている。久夫はカバンから鍵を取り出そうとする。キーホルダーを付けているからいつもすぐに取り出せる。しかし、こんな時に限って、見つからない。久夫はカバンをひっくり返す。派遣会社のパンフレットやノート、ボールペンが飛び出す。全く使ったことのない名刺入れも飛び出す。

 
「うあああああ……!!!」

 久夫は弱く叫んだ。なんで鍵が無いんだ! もう家は目の前だ! ガチャガチャとドアノブを回してみるが、当然開かない。もう限界だ。どっと汗が噴き出す。久夫は最後のあがきでしゃがみ込み、革靴のかかとで尻の穴をふさぐように片膝をついた姿勢をとった。尻に栓だけは出来た形になったが、中から押し寄せる勢いの方がはるかに大きい。久夫はカバンにまだ開けていないチャックがあることに気づく。そう言えば今日の登録会のときに、待ち時間の手持ち無沙汰を埋めるためにカバンの整理をしたのだった! チャックを開けると鍵はあった。

 久夫はしゃがんだままドアの鍵を開け、尻に栓をしている右足のかかとを右手で持ち、左足だけでケンケンをしながら部屋に入った。ベルトを左手で外しながらトイレを目指す。開ける。便器へと腰をおろす。刹那、それまで久夫を苦しめていた腹の中の物が勢い良く便器へと放出されていった。全身の、力が抜けた。








「ヴォエエエエ……ヴォエッ」

 安心したのもつかの間。久夫の食あたりは想像以上に重かった。尻から出せるものを全部出したが、まったくすっきりせず、次の瞬間久夫はそれまで尻を置いていた便器に顔を突っ込むことになった。吐けるだけ吐いてみたが、まだ腹はすっきりしない。再度ギュルルル……と鳴る腹に、急いで体勢を変え、便座に腰を下ろす。同時にこみ上げる吐き気……。久夫は約二時間、トイレにこもりきりだった。食あたりは、本当にヤバイ時は上から下からのお祭り騒ぎだと言うが、本当なんだなと実感した。こんなに苦しい食あたりは人生で初めてだった。吐きながら、「これから玉ねぎが食べられなくなりそうだ」と久夫は思った。


 心身ともに疲れきり、やっと出すものを出し切った久夫は、脱ぎっぱなしの靴を片付け、玄関前にぶちまけたままだったカバンを拾いにドアを開けた。辺りはすっかり暗くなっている。アパートの廊下には、ぶちまけたままの財布や派遣会社のパンフレット、ボールペンや一度も使っていない名刺入れがそのまま転がっていた。この二時間あまり、アパートの住人は誰もこの廊下を通らなかったらしい。ひとつずつ拾い上げ、カバンにしまっていく。

 ドン! ヒュウー……ドン! ドン!

 川沿いの土手から花火が上がった。オレンジ、緑、ピンク、紫。夜空に映えるけばけばしい配色の花火が、久夫のアパートからよく見える。住人はみんな、花火を見に出かけたのだろうか。だとしたら、しばらくこの廊下は誰も通らないだろう。小さな祭りの花火だからか、凝ったものは無く、普通の花火の連続だった。しかし、久しぶりに見る花火は久夫の目をくぎづけにした。最初はただその光のまぶしさや音に集中していたが、やがて久夫は、誰かと一緒にいる未来に思いを馳せ、夏の終わりの人恋しい感情に身を任せていた。ぬるい風が、からっぽになった久夫を撫でる。


 水分と栄養の抜け切った体で、久夫はこれからの人生を、有意義に生きたいと強く思った。誰かを幸せにして、自分もささやかな幸せを感じたい。こんな花火の夜には一緒に出かけて行きたい。そんなふうに思ったのだった。



~完~






補足
のべらっくす「短編小説の集い」に参加しようと思って書いていたのですが、グロいものを公開するのは憚られると思い、投稿は見合わせました。次回はテーマに沿った、誰が読んでも不快にならないものを書きたいと思います(汗)